忍者ブログ

井上隆智ブログ

三代目の八角塔 奈良県立宇陀高等学校


 (Nikon D3200 zoomNikkor 18-55mm (20mm) f:9 1/320sec ISO=100  2022/4/8)
  
 母校のシンボル、八角塔が1923年開校当時の姿そのままに再建され、”宇陀の阿騎野にそびええ立ち”ました(下段写真も+参照)。

 しかし残念ながら、奈良県立宇陀中学校(=旧制宇陀中)から大宇陀高等学校と引き継がれて来た1923年開校時からの校訓「剛健・進取・偕和」の伝統は令和5年3月31日の大宇陀高等学校の閉校によってひとまず区切りを付けなければならなくなりました(後述)。
 令和4年から5年にかけ、奈良県立大宇陀高等学校が同県立榛生昇陽高等学校(=元は宇陀高等女学校から榛原高等学校となり、さらにのち室生高等学校を吸収)と合併して「宇陀高等学校」(宇陀高校)が誕生します。大宇陀高等学校は新生宇陀高等学校の大宇陀学舎と呼ばれることとなり、ここでは「子ども・福祉科」を専門的に学ぶことが標榜されています。たとえて言えば商業を専門に学ぶ高校を”商業高校”と呼ぶように、こちらは実質”福祉高校”ということになるのでしょうか。1学年の定員は80人で全国公募するようです。なお、もう一つの学舎、榛原学舎には情報科学科と共に普通科もありますので、宇陀高校は全体としてみれば専門の科に特化した学校ではなく、普通の高校です。
 「宇陀高校大宇陀学舎」は発足の前に改修され、建物としては大正、昭和の昔の姿を取り戻しました。この懐かしくも誇らしいたたずまいを再現してくれた方々に心から感謝したいと思います。一面、これからここは、今までの宇陀中、大宇陀高校時代とはまったく違ったコンセプトで行われる教育の場となります。だからこそ、先輩諸賢や先生方はここに学ぶ後輩達に、昭和の天皇が行幸された八角塔のある校舎に学んだ先輩達が、例えば戦前全国中等学校野球大会の県予選で二度も決勝戦まで進んだことなど、いかに誇り高く幸せであったかを折りにふれ語ってやってほしいものです。
 


改めてほしい!!

宇陀高校の校章・校歌・校訓(←クリックで宇陀高HPにリンクします)
 
   校章、校歌、校訓は学校を表す三大アイテムです。大宇陀高校出身であり、高校ではないが長年教職に身を置いた者として、これらについて気がついたこと、そして改善してほしい点がいくつかありますので率直に申し述べます。
 
 まず校章です。そのデザインは意図したかどうかは別としても一見して葛飾北斎の名作版画「富岳三十六景・神奈川沖波浪裏」を彷彿させます。考え過ぎですか? その独特なレイアウトに合わせるため「宇高」の文字が小さくなり、全体が円形ということもあって遠目には何かの”バッジ”としか見えません。校章としては如何なものかと感じるのは私だけでしょうか。次に校歌。
 
宇陀高校校歌 1番

榛の地 確かな歩み

人に寄り添い 命輝く

理想を求め 育む力

試練を乗り越え 自己を磨く

挑み続ける われら宇陀高校


 校歌では1番の歌詞が何とも異形です。歌詞の始めと終わり「榛の地・・・われら宇陀高校」、この10文字の間に、
「歩む、人に寄り添う・理想を求める・育む・試練を乗り越える・自己を磨く・挑む」と一貫性の無い「標語」、いわばお題目(だけ)を隙間なく詰め込んだがために歌詞(詩)としてのまとまり、つまりストーリーが完全に欠落しています。これを歌おうとすれば、まさに門前の小僧が経のごとく「丸暗記」した歌詞を声に出すだけ、という味気ない作業になります。さらに、言うまでもなく校歌は音楽です。「起承転結」を欠くこのような歌詞にどうやって曲を付けたのでしょうか?これほど拙い校歌は他に例が無いと思います。はっきり言ってこんな校歌は後輩達に歌わせたくありません。
 校歌とは如何なるものか、身近な高校の校歌の1番を見てみると、万葉集に関わりのある二人の歌人がそれぞれ作詞した奈良高校校歌(詞:佐々木信綱)と大宇陀高校校歌(詞:五味保義)の歌詞にはいずれも押しつけがましいスローガンなどは一言も無く、歴史ある郷土の美しい自然や風景と母校愛をおおらかに歌い上げているだけです(大宇陀高校校歌のリンク下記)。かように校歌は自分の気持ちをイメージしながら楽しく歌えるものでなくてはなりません(註*)。
 
 提案。不思議なことですが宇陀高校校歌の2,3番は1番とは同じ作者が書いたとは到底思えないほど流麗です。そこで提案です。「1番は捨てる。そして2,3番の最初の一行を相互に差し替えてこれを新しい1,2番にする」ことで他校に負けない校歌になります。(なお、「スズラン」は「鈴蘭」とすべきでしょう)。1番の廃棄。宇陀高校がこの案を真剣に検討して下さることを切望します。


 
 校訓(註***)(school motto)は、その学校の目標と理念を単語や文章として表し、その言葉の力によって、学校と生徒を鼓舞し律することを期待して置かれます。
大宇陀高校は旧制宇陀中創設以来の「剛健・進取・偕和」を校訓としてきましたが、榛生昇陽高校には校訓がありませんでした。そういうこともあってか、新出発の学校はまったく新しい校訓を作ったようです。それは「育む・挑む・拓く」とされました。校歌にもこの三語は詠み込まれています。しかし、これら三語のうち、「育む」は言わずもがなの”教育の基本”ではあっても、学校の”理念”あるいは”個性”として掲(かか)げるにはあまりにも捉えどころが無い言葉です。次に「挑む」ですが、これは多義語のためネガティブな意味も持っていて体言(=目的語)を置かずに独立して使うにはあぶない言葉です(当然校歌にも向きません)。結局校訓に使えそうなのは「拓く」だけということになります。その「拓く」は校歌に使われていることでもあり、それならいっその事、校訓無し、とするのが良いかも知れません。校訓を置かないのも一つの見識です。例えば奈良高校には校訓が今もありません。それでも同校は県立ナンバーワンの高校です。
 今回の高校再編で宇陀高校と同様、吉野高校と大淀高校が合併して発足した奈良南高校では、母体となった吉野高校から「剛健」と大淀高校から「敬愛」をそれぞれ一語ずつ引き継いで「剛健・敬愛・創造」を新発足する学校の校訓としました。その姿勢には一定の矜持を感じます。校訓とは、建学の精神と言い換えることも出来ます。その意味で大宇陀高校の庭に置かれた校訓の石碑はいつまで大宇陀学舎の伝統を伝えるものとして大切に保存してほしいと思います。
 
 
 私達は来年以降、「愛する母校」は新生宇陀高校になります。かつてそこで学んだ誇りとこれからそこに青春を預ける後輩達を思って書いたこの一文が”些事にこだわっている”ものではないことがわかって頂けたでしょうか。結論に代えてさらに一言付け加えるなら、五味保義作詞、下総皖一作曲で”宇陀の阿騎野にそびえ立つ八角塔の輝きは”と歌う現大宇陀校校歌を宇陀高大宇陀学舎の学生歌などとして残してほしいと思います。同窓の諸賢は久しぶりに声に出して歌ってみましょう。アンダーライン部分をクリックすれば男声合唱が聴けます(この4月26日に大宇陀高校がYouTubeにアップしてくれましたので私が最初の”いいね”を押しました)。卒業以来半世紀をはるかに超えた今、改めてこの校歌の良さがわかった気がします。
 
 このブログが元大宇陀高校の恩師、同窓の方々、現宇陀高関係者、そして奈良県教育委員会委員諸氏の目に止まることを切に願っています。
 この記事を公開するかどうかは随分迷いました。下段、コメント欄にご意見を下さい。何がしかの適切な反応が得られたら「校章」以下の”不要になる部分”は非公開にします。

 宇陀高校大宇陀学舎の前途(ゆくて)に栄光あらんことを!

 
 
 :岩川みやび 小学校における校歌指導と背景についての考察  CORE
 **:校訓を活かした学校づくりの在り方について(文科省報告書 平成21年)

以下に初代、二代目の八角塔を再掲します(私のブログ既にで発表したものです)。

1954年当時の初代八角塔、校舎は木造二階、正面の木組みで表された「高」の字が旧制中学時代は「中」だった。正面のウカンムリの屋根も新校舎で復活した(撮影筆者)。


2019年当時の二代目八角塔。正面にウカンムリの屋根は無かった。


宇陀中~大宇陀高校百年目の校庭に咲く大宇陀の花カザグルマ
PR

コメント

プロフィール

HN:
Takatoshi INOUE
Webサイト:
性別:
男性

P R