客を入れずに演奏された今年(2021)のウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート。その「音」は例年とはかなり違うものでした。私は毎年自分用のCD(写真)を作って聴いているのでその違いはすぐわかりました。演奏会場は例年と同じグローサー・ムジークフェラインス・ザール。幅が19メートルと案外狭いが天井が高く、奥行きがあって多くの金張の彫像が左右に並び、造りも趣も近代的な音楽ホールとは全く違うこのホールの音は今もって世界最高だと言われています。ただ、それが満席約1,600人の聴衆を入れたときの音なのか、あるいは客席が空(から)の状態での音なのかはあまり説明されてこなかったようです(註1,2)。はからずも今年はコロナCOVID-19の流行という奇禍のせいで客なし、空っぽのホールでのニューイヤー・コンサート開催という未曾有の「実験」が行われることになりました。
私はウィーンに行ったことがあれませんので、当然ムジークフェライン大ホールのなまの音など知るよしもなく、CDや放送で聴くのが私のムジークフェラインです。因みにこの記事を書くのに使った再生用オーディオ装置は前のブログで紹介したものです。ただ、音源はFMチューナーではなく普通のテレビでお正月の夜NHK Eテレを受信しTASCAM US-100というDACでパソコンに取り込んだもののです。編集に使ったソフトは Sound it、 CDへの書き込みはパソコン付属光学ドライブ相当品です。
リッカルド・ムーティー指揮する演奏は文句なしに楽しめましたが、その「音楽評論」をするのは私の分を越えたものですし、小文の目的ではありません。ここでは「今年の音」に限って少し話してみようと思います。
全曲を通して、今年の音はダイナミックレンジと周波数レンジはともに広大で、さらに楽器の定位もビシッと決まっていて三拍子揃った音でした。個々の曲について二、三具体例を挙げてそれを説明してみましょう。
まずスッペの「詩人と農夫」序曲。喨々(りょうりょう)たる金管の響に始まる力強い序奏に続いてチェロが魅力的なメロディーを数分間にわたって静かに独奏するパートがあります。1挺のチェロだけが大ホールの中でひっそりと弾かれます。マイクまでの距離が遠いのか音は小さくてチェロ独特の胴鳴りは拾えていませんが、それがかえって弦の粒立ちとビブラートを際立たせてとても美しく聴かせました。いわば無音よりいっそう静かな世界が音楽によって作り出された瞬間だったと思います。
次にポルカ「クラプフェンの森で」。オモチャの笛によるカッコウと小鳥の鳴き声だけで聴かせる曲ですが、曲中三十何回も鳴くカッコウがあたかも森の奥のほうで鳴いているかのように、確かにそう聞こえました。オーケストラの鮮明な音が近くに感じられ、笛のカッコウにはうまい具合にホールの残響が乗ったので遠くに聞こえたのでしょう。オーディオ的にはオーケストラの「さらに向こう」が感じられるのは希有なことなのです。
さらにもう一曲、「ラデツキー行進曲」はクレメンス・クラウス(1954年,註3)以来となる手拍子の入らない今年のラデツキー行進曲は文句なしでした。拍手は場を盛り上げるのによいのかも知れませんが、オーディオ的には邪魔な雑音です。例年なら大手拍子が入るオーケストラ(だけ)のフォルテッシモで曲が終わった瞬間からの 0.3秒間、「ワーン」と残響がホールの奧へ消えていくのがなんとも心地よいものでした。
ムジークフェラインス・ザールの床と椅子は全部木製です。椅子にカバーはありません。裸の木の板はそれなりの反射音を生み、それが残響となって楽音を飾る筈です。例年のように満席の客が座れば紳士淑女の着衣などで音が吸収されて椅子からの反射音はずっと減ります。さらに、人ば座っているだけでも多人数だと何がしかのざわめきが起こってS/N比が悪くなります。つまり、空のこのホールは客が入っているときに較べると残響が増えてオーディオ的には音が艶っぽくなり、暗雑音が無いだけに小音量でも楽音がよく通って聴き取れるようになります。そう、このホール本来が持つ残響の美しさとノイズの少なさが今年のニューイヤー・コンサートの音になったのです。それがチェロ独奏をしみじみと聴かせ、森の奥で鳴くカッコウをそれらしく捉え、そしてラデツキー行進曲に華麗なホール・トンを付与しました。
ムジークフェラインス・ザールは空っぽのほうが音がよい。
註:
1.参考文献:萩原光男. ラジオ技術 2013
2.参考CD:内田光子:Schubert・即興曲集 PHCP-1818. ムジークフェライン大ホールへ自分のピアノStainwayを持ち込んでで録音1986。
3.クレメンス・クラウス:ウィーフィル・ニューイヤーコンサートの創始者(1939開始、1954年引退)、1954年の録音が残っている。