庭で獲れたブルーベリー (blueberry) です(写真1 ↑)。何年か前、近くのホームセンターで高さ10センチ程の小っちゃな苗木を買ってきて十株ほど植えたのが今は 2メートルもある成木に育って(写真2 ↓)、それぞれの木からキログラム単位で収穫できるほどになっています。
写真では実の大きさはわかりにくいですが、わが家のは大きくても直径 1cmぐらいです。熟した実の色は紫色をしています(後述)。どう見ても blue ではなく purple ですね。果肉はブドウのような白いゼリー状です。果実は緑色のまま大体一人前の大きさになってから一瞬黄色から橙色の時期を経て紫色になります。さらに完熟した実は、紫色になってすぐの実より(水を含んで)心持ち大きくなり、触るとごくわずかに柔らかくなっているのでわかります。
ところで、ブルーベリーを(ジャムなど加工品としてではなく)この果実のまま食べたことがありますか?
わが家のブルーベリーはどれも完全に熟すと甘味50パーセント、酸味30パーセント、苦みと風味それぞれ10パーセントという案配です。甘すぎず、なんともいえず美味しい。小さい果実なので皆は十個ぐらいいっぺんに頬張りますが、私は初めて苗木を植えた翌年にやっと二十個ほどの実をつけたときそうしたように、一粒ずつ味わうのがとても楽しみです。「甘味は舌尖(さき)で」は生理学で習った味覚のイロハ。一個ずつ食べると自然と口先で味わうので甘味が強く感じられ、一度にたくさん口に入れると奥歯で咬むので舌の奧のほう(舌根)で味わうことになり苦みなどが勝った味になりそうなものですが、ブルーベリーはどちらの食べ方でも美味しいのです。
大学三年生のある日、味覚の実習授業があって、前週の講義をエスケープした罰?として生理学の木村英一助教授(のち学長)は私の「喉」にブルーベリー、ではなく何かの水溶液を塗って味を訊かれました。それぞれ違う何かを塗ってもらった級友たちは皆「甘い」とか何とか自分の味を答えていましたが、私は「・・・」、涙が出そうになるだけでした。後日、進級試験では「優」を下さったご恩と共にそのときの強烈な味は忘れようもありません。私が当たったのはキニーネでした。
古典的概念として舌の「味覚地図」つまり、甘味は舌の一番前(舌尖)、その後ろが塩辛、次いで酸味で、舌の真ん中が旨味(うまみ)、一番奥の舌根で苦みを感じるのだとする20世紀の概念は最近では「必ずしもそうではない」とされているようです。ブルーベリーがどんな食べ方をしても美味しいのは味覚生理学にヒントを与えるものかも知れません。。
私の町にある道の駅《宇陀路大宇陀》では夏から初秋にかけてもぎたてのブルーベリーが野菜などの直売所店頭に並びます。宇陀高原では最近ブルーベリーが特産品になっているのです。土壌が酸性だということがブルーベリー栽培にとっては絶対的なな条件です。このあたりは土壌が酸性なのです。私の庭も春土筆(ツクシ)が一杯生える文句なしの酸性の土地です。ブルーベリー栽培に限って言えば土地改良の必要はありません。
ブルーベリーは鉢植えで育てることができますので都会でも自家製の果実が楽しめます。同系統(次項)の苗木を二本以上一緒に育てます(自家受粉しにくいので一株だけ育てると実らないことがある)。ブルーベリー用の土も売られています。私も当初鉢植えもしていましたが、水やりが面倒になって全部庭に持っていって垣根兼用の地植えにしました。水はけがよく、そして常に十分な水補給ができているという二律背反の場所がよいとされています。剪定もせず伸び放題です。
ブルーベリーはアメリカ大陸原産でハイブッシュとラビットアイと大きく2系統があり、日本では十九世紀に入って来て、今は改良品種百種類ぐらいあるそうです。品種によって少しずつ実の大きさや風味も異なるとされています。私のは植えたときは品種名も分っていましたが、いまはもうどれが何だったかなどまったく分りません。ただ一本、最初に植えた野生に近い品種で、沢山実るけど味がいまひとつ、とされていた株がどれだかは覚えています。なかなかどうしてこの木の実も美味しいです。
健康によい果物のナンバーワンはブルーベリー。その紫色は茄子の紫色素と同じアントシアニンという色素の色です。これが「目や視力維持に良い」という巷の評価は「嘘ではない」ようです。だからといって沢山食べたとしても医学的に何らかの効果が自覚できるほどのものではありません。
ブルーベリーの実を是非味わってみましょう。冷やしたヨーグルトに放り込んでスプーンで食べる、なんていうのもよいかも知れません。
ブルーベリーの魅力をもう一つ。晩秋にブルーベリーはモミジにも何にも負けない文字通り真っ赤な紅葉で庭を飾ってくれます。この赤色もアントシアニンの発現だそうです(写真3 ↓↓ = 12月追加アップ)。
写真2 i鈴生りのブルーベリー
写真3 写真2 の枝の紅葉(8月と真逆の方向から撮影)iPhone 12 mini 24/12/13
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近くの里山ではナツハゼ(夏櫨)という低木に出会うことができます。ブルーベリーに似て小さな実をつけ、綺麗に紅葉します。この二つはほとんど同じと言えるほど近い種類なのだそうです。Japanese blueberryとネットにありました。
写真の”USBスティック”二本はどちらにも私のすべてのデーターがバックアップされている USBデバイスです。今までは手前の一般的なUSBメモリーで事足りていたのですが、最近写真上側、少し大きい”USBスティック”、正しくは外付けSSD(solid stade drive)をバックアップ用として使い始めました。
パソコンのデータ・・・ハードディスク( HDD)にあるデータと言い換えてもよい・・・は非常に脆(もろ)いものです。ちょっとしたことで飛んでしまいます。ですから日常バックアップを取っておく必要があります。普通、パソコンに内蔵されている2台目の HDDや、外付けの HDDにオリジナルのデーターをコピーしてバックアップディスクとします。問題は自分の全財産を1台の HDDにバックアップしている(同じ内容を持った HDDが2台ある)だけで大丈夫かどうかです。このやり方では原本とバックアップ用の2台の HDDは機械的にも電気的にも蜜に結合していて、例えば近くへの落雷など一発のバイオレンスで2台が同時にアウトということもあり得ます。
私はかつて、Windows Me の時代、3台の HDDを積んだ自作パソコンを使っており、 HDDを出し入れしていて、何かの勘違いでうち2台をフォーマットしてしまうというミスをしたことがあります。その時たまたま外に取り出してあった残る1台がバックアップ HDD だったので助かりましたが、”全財産を失う”一歩手前という恐怖を味わいました。ですから同じ姿形(?)の HDDだけでは心細く、DVD-RAMへのバックアップとかいろいろやってきて、最近は大容量の USBメモリーが容易に手に入るようになったので、いままでは専らこれに二次的なバックアップを取ってきました。
私の場合、保存すべきデーターは 1985年の PC-9801VM2 以来パソコンで作り、育ててきた論文やその他の記録、一太郎の登録単語辞書や住所録のようなもの、デジカメの全写真などですが、これらすべての知的財産は保存用メディアとしては 256ギガバイト(GB)あれば容量的には十分です。 このページの写真手前の USBメモリーは 256GB、USB3.2(Gen1)対応のもので、今まで使ってきた遅い USB2.0 のものより少し速くなったかなと思います(現用PCのポートはUSB3.2 (Gen2))。このバックアップUSBメモリー さえ手元にあればひとまず安心です。
私の全財産がこのちっぽけなUSBメモリー1個分だとは。眺めているとその小ささにすこしがっかりもします。ただ、その昔のフロッピーディスク1枚の記憶容量1.44MB、それは新書2冊分ということをもとに計算すると、256 GB のこのUSBメモリーの容量は、新書なら 50万冊分だということになります。私はとてもそんなには仕事をしてきていませんのでバックアップ用チップにはパソコンが勝手に作った膨大かつ無駄な文字、ファイルやフォルダなどが含まれているのでしょう。
二次バックアップの方策として最近ではクラウド・ストレージを推奨する向きもあるようですが、そうでなくても目に見えない電子的財産を「雲の中に入れておいて安心」などとは私の感覚では理解できないので今のところ使いたいとは思っていません。
さりとて、USBメモリーも数年とか時間が経つとデーターが揮発するとされています。時々新品のデバイスで繋いでいくほかはなさそうです。以下に述べる SSD が長寿命であることを期待していますがどうでしょうか。
USB メモリーに代わる次世代のデバイス SSD(solid state drive);